2018/04/11

nikodriverの白倉栄一と申します〜自己紹介〜

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車椅子歴22年間は仕事・趣味などやりたいようにやった日々

はじめまして、こんにちは。nikodriverの白倉栄一と申します。私は1972年千葉県生まれの45歳です。父の仕事がJRAの厩務員(きゅうむいん)であり、馬主から預かった競走馬を厩舎の中で育てて、レースに出走させていました。そのため幼少から、競走馬のトレーニングセンターのある茨城県の美浦村で過ごすことになりました。

学生生活を経て、1995年にイオンリテール㈱(旧:ジャスコ㈱)に入社しました。埼玉県の最北部にあった神保原駅前店(現在は閉店店舗)に赴任し、初めての担当は農産売場(野菜・果物・花)となりました。朝から市場に行き、お客さまに喜ばれる野菜・果物を仕入れて、店舗で販売する仕事をしており、将来は世界の果物を仕入れるバイヤーを目指していました。

24歳のときに交通事故に遭い、車椅子生活が始まった

24歳のときに…
約1年半が経過した1996年9月1日。自宅に帰ってきてから、たまたまスクーターに乗って出かけた際、交通事故に遭いました。何とか一命はとりとめたものの、脊髄損傷になり、一生車椅子生活の宣告をうけました。その瞬間、お先真っ暗な気持ちでしたが、翌日に両親から言われた言葉によって救われました。

「今は、おまえの身体は治らない。でも5・10年先は分からない。なぜなら今の生活だって5年前には想像できただろうか?多分、こんなに世の中が進歩するなんて誰も想像できなかっただろう。だから未来は誰にも分からない。そのため5・10年後、医学が進歩したときに手術を受けられるように努力しておくんだ。まずは手術のためにお金を貯めること。そして手術できる身体を作っておくことだ。だから一生車椅子生活と言われても諦めることはない」と。私はこの言葉を聞いてから、絶対に後ろ向きになってはだめだと思うようになりました。そこから私の社会復帰に向けての人生が動き出しました。

1年1ヶ月間の…
私がリハビリをした期間は1年1ヶ月です。はじめに入院した病院では、背骨・あばら骨などが折れていたこともあって、2ヶ月間は仰向けの寝たきり状態で過ごしました。この間に褥瘡(じょくそう;別名床ずれ)を作ってしまい、次の病院では褥瘡手術・顔面のキズの手術をしました。1997年3月に埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンター病院(通称:国リハ)に入院して本格的なリハビリを6ヶ月間実施しました。

当時のリハビリは体育会系のようなもので、筋力を鍛えるために1日10キロの鉄アレイを300回持ち上げたり、毎日坂道ダッシュを5往復、体育館では車椅子に大型タイヤを取り付けて館内を5周するといったハードメニューでした。そんな状況でもリハビリ期間中は、私と同じ脊髄損傷者が多かったこともあって仲間意識も強くなり、社会に出て過ごすことより病院の中にいる方が楽しかった思い出があります。また、毎日イラストを描いたり、日記を書いたりもしました。今でもそのイラストや日記を見ると、当時の状況が蘇ってきます。そして、9月30日に無事退院することができました。

私の休職期間は1997年12月15日までとなっていたために、何とかして会社に復帰したい気持ちでいっぱいでした。そのためにOT室にあった誰も使っていない日本語ワープロ機を私に貸してほしいと頼み込み、毎日1時間はワープロ入力の自主トレをしていました。なぜなら会社に復帰したときに、「何でこの人を受け入れなければならないの?」と言われたくないと思いから必死になっていました。なぜなら私の復帰場所は、会社こそ同じですが、以前勤めていた職場ではなく、別の職場に復帰するため、誰も私のことを知らないからこそ認められたかったという思いが強くありました。

21年間のサラリーマン人生~現在に至る

21年間のサラリ…
私が会社に復帰したのは、1997年11月21日です。休職期間満了の約1ヶ月前に復帰することができました。配属先は総務で、思っていた通り、パソコン入力などをする業務が多く、リハビリ期間中にワープロ入力をしていたことが功を奏しました。その後は、総務主任・人事教育主任・システム管理主任などを経て、38歳のときに人事総務課長という役職に就きました。店舗におけるNo.2の立場でした。人事・総務・経費管理・教育・クレーム対応の責任者として仕事をしてきましたが、私にとってはとても充実しており、2013年には社内のお客さま満足度調査で全国1位に輝いたことがとてもうれしい功績です。

競争店環境が厳しい状態であったために従業員のモチベーションを上げる活動を通して、従業員の働きやすい風土にしていくことで、お客さまに対しても優しく・丁寧に接客できる店舗を目指しました。その結果、店舗の全員が同じベクトルに向かって全国1位を獲得できたことは、私にとっては忘れられない思い出です。そして、2016年12月まで同社で勤務しました。当時44歳だった私は、「今の仕事は他の人でもできるけれど、車椅子でも生活できる環境を創っていく仕事は、車椅子ユーザーの私だからやらねばならない」と思い、退職することに至りました。

仕事の傍ら…
そもそも私の今の仕事であるバリアフリーに関わったのは、2000年頃に車椅子生活になって初めて出かけた宿泊旅行の出来事にさかのぼります。バリアフリールームを利用したものの単に広いだけの部屋で、トイレ・風呂は使えず、フロントからは「我慢してください」と言われたことです。こういった状況を変えるには、車椅子ユーザー自身が出かけてバリアフリーを調査して発信することが必要なのではないかと思うようになりました。それが私と同じ車椅子ユーザーの方々に微力ながらお役にたてるのかもしれないと思い、2005年~バリアフリー情報を発信し続けてきました。そして本格的なビジネスが出来ないかと思い、起業の学校に1年間通いました。

念願だった…
所属していたイオンを辞める時に有給休暇が31日間残っていた(当時、管理職扱いだったので全く有給を使っていなかった)こともあり、日本1周をして全国のバリアフリ―のスポットを調べたりもしました。はじめはかなりためらっていましたが、行けば何とかなるだろうと思い切ったことがうまく行った秘訣だと思っています。気が付いてみれば、2005年から調査した件数は1000件にものぼるものになっていました。

そして予定通り、2017年の誕生日である8月8日に起業しました。私の仕事は飲食店・小売店・宿泊施設などのバリアフリー化を進めていくことで、単にバリアフリーの設備だけではなく、私の強みである従業員満足・お客さま満足を通して、企業の活性化を図っていくことです。今後は東京五輪・パラリンピックの開催や超高齢化社会です。車椅子利用者が増えていく中で、今の段階から車椅子でも利用しやすい環境を創っていきたいと思っております。きっとニーズは高まるものと考えております。

手動運転装置のハンドコントロールによって世界が変わった

手動運転装置…
ニコ・ドライブのハンドコントロールとの出会いは、私が通っていた東京の木場にあるJ‐Workoutの会員であるAさんがハンドコントロールを使用していたことで、使い勝手をいろいろと聞いたのがきっかけです。私の中では、簡単に取り外し可能な状態であることが、逆にアクセル・ブレーキから外れやすいのでは?という不安がありました。でも2重ロックされている仕組みになっているため、外れることがないのが確認できました。

そしてニコ・ドライブの本社へ試乗しに行き、使い勝手を確かめることで、ハンドコントロールがあれば日本各地へ旅行することができると思い、購入することにつながりました。おかげさまで、ハンドコントロールを持参した旅行によって、旅行に行くスポットが大きく広がりました。今後も広く活用していきたいと思っております。

私の自己紹介を述べてきましたが、長年の車椅子生活をしていて感じていることは、社会のバリアによっていろいろと諦めてしまいがちですが、乗り越えていくのも自分自身だと思っております。仕事にしても、生活にしても自分の振舞い方次第で物事は大きく変わります。もちろんうまくいかないときも多いと思いますが、めげずに諦めなければ、きっと自分の想いに賛同してくれる友達・同僚などがいるはずです。そして車椅子でも生活しやすい環境をお互いに創っていきたいものです。




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